かぎりあるいのち

十年と少し前まで、自分や自分の家族や自分の周りの人たちの「死」についてなんて考えた事もなかった。丁度12年前の春に「僕はこのまま死ぬんじゃないか?」って実感したあの日までは・・・・・・


その出来事の2年前婆ちゃんを老衰で亡くした時でさえ、86歳まで生きられた婆ちゃんの事を天寿をまっとうしたんだって考える事で無理に自分を納得させてた。

その日の夜出かけた先から帰って、いつものようにごろごろと横になりながらTVを見てて、数年前から感じてたこめかみの辺りを引っ張られるような違和感を感じながら、布団にもぐりこんだ。

寝付けなくて、寝返りをうった瞬間だった。バチーン!と頭の中に音をたてて今までに、味わった事のない衝撃が走った。

次の瞬間上から下から垂れ流しの状態に陥り、そのショックで呼吸困難に陥っていた。

その頃ボクは離れで一人で暮らしていた為に周りには誰もいなかった。そんな中今までの人生の中で経験をした事がないような苦痛に襲われ、自分の中で生死に関わる大変な事が起きている事に気付いた。

ただ心のどこかではそれを受け入れる事が出来ない自分がいて、嘔吐物で薄汚れた格好のまま、鏡のところまでは這っていって一生懸命に手の平を動かしていた。

なんでそんな事をしたかと言うと、脳に障害が起きたなら体が動かなくなるんじゃないかって思ったからに他ならない。

だから体が動く事で自分自身に「大丈夫だ!」「心配ない!」「死んだりなんかしない!」と一生懸命言い聞かせていたように思う。

ただやがてその頑張りも風前の灯って感じたのが、呼吸が苦しくなるのとともに、体にシビレを感じ出した時、「いよいよボクも終わりかなぁ」って観念せざる得ない状況に陥った。

ただ体の自由が利くうちに何とかしなけりゃと思ったボク、ほふく前進のような格好で、母屋の玄関までなんとか辿り着いてそのボクを見て飼い犬が吠え出した事で、母が玄関まで出てきて這いつくばっている息子を見つけたという事なんだけれど、その時、母が僕に対して放った言葉が

「またこんなに酔っ払うまで呑んで!いい加減にしなさいよ!」

それに対して

「母ちゃん僕もうダメかもしれないよ。このまま死ぬんじゃないかな?親より先にごめんな」

だったらしい。

そこで慌てた母が救急車を呼ぼうとしたとき、ボクは制止しなんとか母の運転する車で病院に辿り着いた。地元でも一番大きな病院の救急外来にいたのが、脳神経外科の専門医で下された診断が「風邪」による頭痛と言う事で、その日は頭痛薬をいくつかもらって家へと帰された。

その日から当然のように断続的に襲う頭痛と迫り来る死への恐怖で、布団の中から一歩も出られない状況で、ましてや食事や排泄さえも出来ずにいた。

夕方になり一向に快方へ向かう様子のない息子に対して「このままでいたら大変な事になるからもう一度病院へ行くよ」と言われ、昨夜訪れた病院までの道のりの事を考えると憂鬱になった僕は、近くの総合病院に連れて行って欲しいと母に告げた。

その時に向かった病院も地元では3本の指に入るくらいの総合病院だったが、そこでの診断は「髄膜炎」で風邪の菌が脊髄に入ったんだと言われ、数時間のに及ぶ点滴の後に「脳の血管がどうかなってるみたいなんです」と言うボクの訴えも受け入れてもらえず、また帰途に付いた。

家に帰って夜を迎えても一向によくなる気配がなくって、結局夜中に意識が薄れていくのを感じたボクは、両脇に寄り添うように寝ている両親を起し、再び初日に訪れた市内で一番大きな病院に向かった。

さすがにもうその時は、このまままた帰される様な事があったら、多分もうダメだろうなぁっておぼろげながらも思っていたが、カルテを見た医師が冷酷に放った言葉が

「あなた一昨日も夜中に受診にきてますね。今日のところは鎮痛剤を飲んで安静にして、明日また出直して下さい」

とのこと、この時いよいよ母がキレてしまって

「一昨日から本人が脳の血管がどうかなってる!って訴えてるじゃないですか?この病院は検査もしてくれないんですか!もしこの子に何かあったら訴えますからね!」

と強い口調で訴えてくれた事で、ドクターも重い腰を上げ

「じゃあ一応CTだけでもとっておきますか」

という事になって、車椅子に乗せられCT室に向かう頃には、もう意識も朦朧としてしまっていた。

結局CTを撮り終えた技師が耳元で

「よく頑張ったね、君の言う通り脳出血を起してたんだけどね、たいしたことはないから、必ず先生が何とかしてくれるからね」

と言うひと言を聞いたボクは、やっと自分の訴通りで、これで何とかしてもらえるんだと言う安心感からそのまま意識をなくしていった。

家族にとってはそこからが修羅場だったようで、うわごとのように

「仕事に行かなきゃ!婆ちゃんの髪を切りに行く約束があるから」

と言って起き上がろうとしてたらしいんだけど、ショックを与えてもう一度出血を起せばTHE ENDということで、その手足をベットにくくり付けられてなお「畜生!畜生!」と起き上がろうとしていたらしい。そんなボクの姿を見て弟は「早く何とかしてあげてくれ!」と半狂乱になっていたと言う。

結局診断結果は「右即頭部大動脈瘤破裂」いわゆる「クモ膜下出血」と言うことだった。

ドクターからのオペ前の話では、手術中に出血が起れば命の保障がなく、万が一手術が成功しても何らかの障害を抱えて生きる事になるだろうとの事で、家族は最悪のケースも考えていた様だった。

結局は術後の苦痛を乗り越え、今現在に至るわけなんだけども退院してきたボクは坊主頭の見た目以上に、心に大きな変化をもたらしていた。

それまで、異次元のことくらいに考えていた「死」と言うものがいつも身近にあると認識させられた事。そして、自分の周りの愛すべき人たちの命だって同じように永遠ではないと言う事。そんな事を考えるようになってから、人との出会いの大切さを痛感した。

この先最後の瞬間を迎えた時、いい人たちに恵まれて幸せな人生だったなぁって思えるような生き方をして行きたいって思った。


なにか自分のわがままを通したいって思った時、相手の犠牲があってこそ自分のわがままが通るんだって考えると、自分の欲望だけで周りを振り回したりしたらいけないなって、最近は強く思う。

常に何かに対して怒りの感情を持ち続けて生きるより、少しでも笑顔でいようと思える自分がいる。

誰かの記憶の中に残る自分の台詞がいつもポジティブなものでありますように、笑顔でありますようにと願うようになった。

命に限りがあるのは、誰も同じなんだと思えたあの日から・・・・・・・





ps。色いろなフラッシュを見ていてついつい3年前にNetで公開していたtextを引っ張り出してきました。あの頃から少しは成長しているのだろうか・・・・・・
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by tai925 | 2006-04-28 10:47


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